プロフィールインド経由ナクル湖マサイマラマサイ族ウォーキングサファリ

タンザニアからケニアを移住する赤い布をまとった民族、マサイ族。マサイ村を訪ねるツアーなんてものがあって「好きなだけ写真を撮れます」ってフレーズが嫌で東京では申し込まなかったけど、村の前で車を降ろされ、中に入るかどうか?なんて聞かれたら好奇心をくすぐられ「NO」と言える人は少ない。そもそも人に対して「好きなだけ写真を撮る」っていう言葉はどうなの?って思っていたけど、それにはちゃんと意味があった。

マサイ族の特徴となる赤い布をまとった人にカメラを向けると、大人から4才くらいの子供に至っても怒る。
写真を撮られるのが見せ物みたいで嫌なのか、でも自分達の存在を知ってもらう為にはいいんじゃないの?なんて疑問を持ちならが、隠れて写真を撮っていた。
マサイ族はすらりとした体格で、9頭身あるのではないかと思えるスタイルの良さ。緑の大地に映える赤い布を見つけると、はるか彼方にいてもカメラを構えてしまう。

そうこうしているうちに、車が止まりマサイ族の村の前で降ろされた。村に足を踏み入れるのには40ドルかかる。民族を見れる事は嬉しいけど、どうも商売のにおいがして抵抗があったが、目の前にいるマサイ族をみたら、この村の中はどうなっているのだろうと、好奇心を押さえられず40ドル払った。

まずマサイ族の男性が歓迎のダンスというものを踊ってくれる。もちろん歓迎されいるのかは疑問だけど、民族特有のダンスと歌を踊ってもらえるのは嬉しい。
バッファローの角で出来た笛を吹き、歌をうたう人と鶏のように首を突き出し歩き回る(踊る)人達。その後、皆で作った半円の中で順番に飛ぶ(垂直飛びのように)。その脚力には、そこにいた一同歓声を上げた。
なぜ飛ぶという行為をするのか、その意味は頭上にいる神に近づこうとするような意味があるらしい。そういえば、村では小さな子供もジャンプをしていたな。

丸く家で囲まれた村に入ると、村の中では女性が一列に並び歌をうたい歓迎をしてくれた。
一夫多妻制のマサイ族は、女性が家を作る。それぞれの家に一人の女性が住み、男性はその家を泊まり歩く。そんな環境考えられないけど、ここでは当たり前の事。
女性はやはり地位が低いのか全体的に消極的だ。
マサイ人の男性が英語を話すのに、女性は全く分からない。ただニコニコと笑顔を投げかけてくるだけだ。

 

家は木を骨組みにして牛の糞を塗りつけて作られる。
村は当然フンの臭いで充満しているが、乾燥させるとそれ程ヒドイ臭いでもなく思えた。
さらに乾燥させた牛のフンは雨も通さず、かなり役に立つらしい。


家に入って、マサイ族の生活をのぞき、彼等の生き方を少しばかり聞いた。家の中ではちょうど羊を煮て料理している最中で、家中煙りだらけ。気を抜いたら窒息してしまうんじゃないかというような凄い状態だった。食べ物は牛、やぎ、羊、ロバに牛の血を飲む。


家の中は二つに区切られていて、羊ややぎが生まれたばかりの時に、家の中で育てられるように作られたスペース。それからキッチンと牛の皮で作られたベットが隣り合わせになったスペース。もちろん天井も低く中は狭いが、必要最小限の生活は十分営める。


マサイ族は思ったより長生きで寿命は80~90才という。その長寿の秘密はハーブにあるようだ。
クスリに使うハーブが体に良く、彼等いわく一般の人が使っているクスリなどを使うと強すぎてダメらしい。ハーブでも彼等には少しきつくて一晩で治るとか。
話す言葉はスワヒリ語とマサイ語。少数だが英語を話す人も増えている。

この旅で英語の必要性というか偉大さを感じた。海外で英語が役立つのは分かるけど、こうした民族の人達までもが英語を話すようになっているのだ。ちょっと邪道かもしれないけど、彼等と少しでも意志の疎通が出来た事は感動的。

彼等がまとう赤い布はウォーリアーの印。
ウォーリアーとは、15才~25才の男性がなるもので、70名前後からなる自分のグループを外敵から守るという使命がある。
その間髪を切る事なく、 25才になると髪を切り結婚をする事ができる。結婚相手は強い男が好きに女性を選べるという事らしい。 なんとも分かりやすい。

村にいたマサイの人が、この子はどう?なんて男の子をさして聞いてきたので、私はネコの写真を撮らせてくれた「あの男の子」がいいと言うと「おまえがいいってさ~」ってな感じで騒ぎだした。
なんか中学生みたいで面白かった。
どこにいても、どんな民族でも同じような会話してるのね。

さてさて、何で彼等が写真を嫌うか。もともと嫌いな訳ではないと思うんだけど、ガイドさんいわく、彼等の中にルールがあるらしい。
マサイの民族の中にも教養を高めようと、現代社会と接しようとしている人達がいて、子供の為に学校などを作る活動をしている。そうして今まで閉鎖的だった彼等も英語を勉強し、外の世界を知ろうとしているのだ。その為には資金が必要になってくる。
生きる為に必要な食料はあるし今まで通り生きられるが、学校を作るような膨大な資金は作れない。そこで村を見学させて、それをわずかな収入にしているらしい。だから、観光に来た私達が無断で写真を撮ったりするのはルール違反という訳だ。

でも、そうした現代分明に順応していく必要が、彼等にはあるのだろうか?今まで通り、彼等の生活を続けて行く事が彼等のポリシーなのではないのか?と淋しくも思った。